2022-04-16 ジョーカーを見てみた 映画 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。 管理人のかざひなです。 今回はこんな企画がありまして 指定した映画をみんなで観て感想をブログで書こうや企画をしてみたいと思います。今回のタイトルは「ジョーカー」記事作成ルールは特に無く、文字数も装飾も画像使用も好き放題OKです。記事ができたら#映画チャレンジジョーカーのタグをつけてツイートしてくれるとみんな読みやすいかも — たくろう (@nuluto_blog) 2022年3月16日 一つの映画の感想をいろんな人が書くって絶対面白い!! そんな感じでジョーカーを見てみました! ※ちなみに管理人はアマプラで見ました。 今回は今までよりネタバレあったりすると思います!(当人比) 読むときは自己責任でお願いします! まず最初から最後まで思ったのが、 ゴッサムに住みたくない!! あんな救いのない街やべぇな。 公共機関も住居も落書きだらけじゃないですか。 なんて芸術性の高い街!絶対生き残れない。 なんていうか、誰も悪くないんだよね。 誰も悪くないから誰も救われないなぁ。 みんなを笑わせたい人が、望まないタイミングで笑ってしまうとかなかなかしんどい。 望まない障害で笑いを偽れと言われながら、しかもハッピーに生きろとかさ。 地獄でしかないよね。 ピエロのペイントが流れるところが何回かあったんだけど、結構好きな表現だったなぁ。 あれ、ベタだけど、表情と心情がちぐはぐなところが狂気を感じるというか。 心がじわじわと死んでいく感じがまぁ救われない。 一番報われねぇと思ったのが、母の真実と自分の妄想。 こんなに苦しいのが自分の親のせいかと思った時ってもう絶望だっただろうな。 世間にも、親にも虐げられて、更にはいい感じになったと思ってた女性は自分の妄想って… せめて自分の妄想が醒めなければよかったのに。 あと、今までテレビに出たくて出たくていたのに、テレビに出た瞬間に全てを曝け出したのなんでだろう。 テレビで何を見たのだろう。何を見て絶望したのだろう。 ジョーカーも言ってたけど、全てにおいて「主観」でしかないのかなと。 貧困層から見た正義と富裕層から見た正義なんてものは存在しなくて、そもそも正義とかなくてただの「主観」。 同じ「主観」が多ければ多いほどメジャーで正義になりやすいのかなぁ。 今までアーサーは少数な方だったから、冒頭みたいなことになるけど、新聞が騒いで世間が騒いで持ち上げられた瞬間にジョーカーはその街での「正義」になってしまった。 そんなことを考えつつも、パトカーから丁寧に救出されてボンネットの上に寝かせてくれたってシーンは割と感動した。 ここまでジョーカーが有名にならないと、同じシーンがあったとしても道端に投げ捨てられて、蹴られて、苦しんでる姿を見て嘲笑われるのかなぁと思うと皮肉なもんではあるけど。 最終的にジョーカーは施設?務所?みたいなところに収容されるんだけど、何気にこの場所が一番アーサーになれるところなのかなぁと思った。 自分のタイミングでなくても、笑える時に笑っても何もなくて、自分を押さえるものがないのはアーサーにとっては一番自由で幸せなのかなぁって。 だから、この映画で一番救いがあるのはアーサーだよね。 すごく清々しい顔してたもんな。 そうそう。 この映画ってバットマンに繋がるらしいんだよね。 どのあたりがバットマンに繋がるんだろう。 って思ったけど、あれか。最後の子供か?最後の子供がバットマンなのか? アーサーと出会った時から最後まで全く笑顔のない子供だったな。 何を思って過ごしてるのかな、あの子は。 もしかしたら、ジョーカーになってたのはあの子かもしれないよね。 復讐の連鎖が止まらないになるのか、そういう意味じゃなくてバットマンになったのか。 バットマンを見たことのない管理人としては気になるところですね。